神戸地方裁判所 昭和25年(モ)430号 判決
申請人 和田平兵衛
被申請人 中村朝太郎
一、主 文
本件仮処分を認可する。
本件申立費用は被申請人の負担とする。
二、事 実
申請人訴訟代理人は「本件仮処分を認可する、本件申立費用は被申請人の負担とする」旨の判決を求め、その申請理由として「芦屋市西山町百二十二番宅地実測六十三坪八合一勺(公簿面積は六十二坪四八)及右宅地の中西側三十五坪一合二勺を敷地とする木造瓦葺二階建店舗兼住宅一戸(建坪二十一坪二合三勺外二階坪十七坪四合五勺)は訴外井床利一の所有であるが申請人は昭和十五年一月以来右井床から右の家屋を当初の家賃金は一ケ月三十五円その後改定されて一ケ月金七百円の定めで賃借し、以来引続いて之に居住しているところで申請人が右家屋を賃借する以前から右家屋建物の西側には略三角形をなしている七坪一合の空地があり(別紙図面<省略>参照)、右の空地は家屋建物の南側裏手にある約二坪の空地と何等の障壁を設けず鍵形に接続すると共にその外側の道路に接する部分には緑樹「かいづか」の生垣を廻らして内部には各種の庭木が植栽せられ、且生垣の北西隅には通用門を設けて前記裏庭に通じる勝手口とするなど之を要するに右七坪一合の空地は前記家屋の庭園兼通路として之に附属すると共にその敷地三十五坪一合二勺に含まれ、当初から家屋賃貸借の目的物件に属していたものであつて、従つて申請人は右家屋を賃借して以来右の土地部分をその用途に従つて平穏に占有し、いまだ何人からも異議を唱えられることなく十年余を経過して来たところが、被申請人は昭和二十五年八月頃に右土地部分を訴外井床から賃借したと称して暴力を以て右土地部分に侵入して勝手に生垣や庭木を撤去した上、右地上に家屋建築のための基礎工事を始めた、右の次第であるから申請人は被申請人に対して右土地部分に関する占有回收並に占有保持の本案請求権に基き訴訟提起の準備中であるが、被申請人においてコンクリート基礎工事に着手した現状において之を保全しておかぬと後日本案勝訴の判決を得てもその執行に著しい困難又は損害を生じる虞れがあるから、本件仮処分申請に及んだのである。なお、本件仮処分について保証を条件として之が取消を許すべき特別事情があるものとする被申請人の主張は之を争う」と述べた。<立証省略>
被申請人訴訟代理人は「本件仮処分を取消し、申請人の仮処分申請を却下する」旨の判決を求め答弁として、「申請人の主張する土地家屋が訴外井床利一の所有であり申請人が右井床からその主張の家屋を賃借している事実、右家屋の裏手に之に附属する約二坪の裏庭があり又右家屋の西側に約八坪の空地があつてその外側は「かいづか」の生垣を廻らして之に通用門を設け内部に数本の庭木があつた事実並に被申請人が昭和二十五年八月中に右の土地部分に建築工事を始めるに当つて右の生垣庭木等を撤去した事実は之を認めるが、その余の主張事実は之を争う。申請人の賃借家屋の敷地は実測三十三坪余であつて、前記西側空地は右家屋敷地には含まれず之と区別されていたものである。即ち右の家屋は井床利一の先代が之を建築したのであるが右先代は将来家屋の西側道路が拡張される場合に備えて右の空地を留保する一方申請人方の裏庭とは板塀を以て仕切りその敷地とは厳重に之を区別したのであるが、その後右空地は子供の遊場となり又家屋の壁に広告を貼られる不体裁もあつたために之を防止する必要上右空地の外側に「かいづか」の生垣を廻らしたのである。ところが申請人は何時の間にか右井床には無断で前記板塀を撤去して申請人方の裏庭と右空地とを接続させると共に之に数本の竹木を植え、且右箇所を営業用のソース樽置場などに使用し始めたのである。しかし右空地が申請人の賃借家屋の敷地に属しないことは上述したとおりであり、又右家屋はその東隣家屋との間に幅三尺の通路があつて前記裏庭に通じているから、強いて右空地の北西角にある通用門を勝手口とする必要もないのである。ところで、被申請人は昭和二十五年一月十日に右井床から右の空地を店舗兼住宅建築のために賃借したのであるが、右井床は之に先だつて右空地部分の買取又は之に関する賃貸借契約の締結方を申請人に要望したけれども申請人において之に応ぜぬために之を被申請人に賃貸した次第であつて、右空地部分が賃貸借の目的物件に属しないことは申請人の熟知しているところであり、且被申請人は建築工事に着手する前に予めその旨を申請人に通告してその諒解を得た上、前記生垣及庭木等を撤去した次第であつて之によつて何等申請人の占有を妨害したり侵奪したりしたことはないから、申請人において占有回收又は占有保持の本案請求権があることを前提としてなされた本件仮処分はその理由がない。
仮に被申請人の以上の主張が認容されぬとしても、本件仮処分は左記特別事情に基き被申請人において保証を立てることを条件とする取消を許さるべきである。即ち被申請人は本件土地から東方約二丁を距る繁華街に店舗を構えて食料品商を営んでいるところ、右現在の店舗は明渡を要求されているために適当な移転先を物色していたところ偶々本件土地が空地であることを知り、之を訴外井床から借受けた上工費約二十一万円を以て本件地上に木造瓦葺二階建店舗(延坪十一坪)を昭和二十五年九月十五日までに完成し、同月二十五日には開店の予定を以て工事に着手したところ本件仮処分により之を中止するのやむなきに至つた次第である。ところで本件現場における工程は基礎工事を終つたばかりに過ぎぬけれども被申請人は既に約八万円を投じて所要の木材を買入れた上、請負大工をしてその切組をさせ右木材は目下組立を待つばかりの状態において他所に保管中であるが、右の状態において本件仮処分による工事の遅延を生じたために大工人夫等の手待ちによる賃銀の増額を余儀なくされその損害は既に金五万七千円に達している外、今後に調達すべき副資材の値上りは既に二倍に達しこれによる損害も少なからぬものがある。外に被申請人は右建築工事の完成開店の上は北海道バターの特約店指定を受け得る予定であつたところ、本件仮処分による工事遅延のために未だ右の指定を受けることができず之による営業上の損失も多大であり、加うるに現店舗の明渡請求を受けているために被申請人は進退に窮する状況にあり一方既に買集めた建築資材も朽癈散逸の虞れがあるなど本件仮処分によつて被申請人に生じる有形無形の損害と苦痛はまことに多大なるものがある。ところで申請人はたとえ本件仮処分を取消されても僅に八坪程度の空地の利用を失うに過ぎず、且申請人方にはその東側に通じる通路があるから本件空地を通じる申請人のいわゆる勝手口を失つたとしてもその出入に事欠くこともない筈であつて、右取消によつて申請人のこうむる不利不便は些々たるものであつて、之に代る金銭的補償を得ることによつてたやすくその満足を得べきものであり、且もし本案判決において申請人が勝訴した上は被申請人をしてその建築した家屋を取除かせることによつて直に原状を回復することができるのであつて、之によつて回復することのできぬ損害をこうむる虞れもない。右の次第であるから本件仮処分は被申請人をして相当額の保証を供させることを条件とする取消を許さるべきものである」と述べた。<立証省略>
三、理 由
申請人の主張する土地家屋が訴外井床利一の所有であり申請人が右井床からその主張する家屋を賃借している事実、右家屋の南側裏手に之に附属する約二坪の裏庭があり又右家屋西側にその正確な坪数はしばらくおいて約七、八坪の空地がありその外側道路に接する部分は「かいづか」の生垣を廻らし之に通用門を設け内部の地上に少くとも数本の庭木が存在していたところ、被申請人において昭和二十五年八月中に右地上の生垣庭木等を撤去して之に建築工事を始めた事実は当事者間に争のないところで証人中島光国、清滝信治郎、岸本義雄の各証言と証人堺谷己之助の一部証言並に証人和田平太郎の第一、二回証言及当裁判所が真正に成立したものと認める甲第八号証及当裁判所が本件現場の真正な写真として認める乙第四号証の一、二、三並に申請人本人訊問の結果を綜合すると、申請人が現に賃借している前記家屋は昭和二年頃から七年頃にわたつて訴外中島光国が之を賃借居住していたのであるが、その当時前記空地(実測七坪一合)の外側道路に接する部分には板塀を廻らしていたが、右家屋の南側裏庭との間には何等の障壁もなく之と鍵形に接続して自由に往来し得る状態にあつて、右中島方において之を自家の庭として使用していた事実、次で右家屋は訴外清滝信治郎が之を賃借したがその間昭和九年頃に前記外側の板塀が倒壊したために右清滝信治郎の祖父が「かいづか」の生垣を植栽した上引続いて之を庭として使用し、その間次第に庭木なども植栽せられるに至つたが家主の井床利一も格別之について異議を申出ることもなくそのまま黙認の状態において七、八年を経過した後昭和十五年中に申請人において右家屋を賃借したのであるが、右賃借以来申請人も右土地部分を自家の庭園として使用し逐次庭木等を増加すると共に前記生垣の北西隅に通用門を設けて之を来客の出入に供し兼ねて自家の勝手口にも使用していたが、訴外井床利一は之についても何等異議を唱えることなく十年余を経過した事実関係であつて、右空地部分が本来申請人の賃借家屋の敷地に属し従つて申請人において之について適法な本権を有していたものであるか否かは別問題として少くとも前記のような事実関係において申請人がその家屋賃借以来既に十年余にわたつて之を占有して来た事実、ところが右井床は昭和二十五年一月頃に至つて申請人に対して右空地を権利金七万円の代償を以て改めて賃貸する旨を申入れたのに対して、申請人は右空地部分は当初から自己の賃借家屋の敷地に含まれ之に附属しているものであるとする見解の下に右井床の申入を拒絶した事実、ところがその後右井床から前記土地部分を賃借した被申請人は昭和二十五年八月中に直接的な暴力の威迫によつて、右土地部分に侵入した上勝手に前記の生垣や庭木を撤去して建築基礎工事に着手し、以て右土地部分に関する申請人の占有を奪取し現に右地上にコンクリート製基礎工事を設けている事実の疏明があり、右疏明に反する証人堺谷己之助、井床利一(第一、二回)各証言部分並に被申請人本人の供述部分は当裁判所は之を信用しないし他に以上の疏明を動かすような疏明資料はない。そうすると申請人が被申請人に対して本件土地部分に関する占有回復並に占有保持の本案請求権の将来の執行を保全するためになした本件仮処分申請は、その理由があるものとせねばならぬところ、被申請人は本件仮処分命令による建築工事の遅延のために被申請人において重大な損害をこうむるのに反して右仮処分命令によつて保全される申請人の権利は僅に七、八坪の土地の占有権であつて後日之に対する金銭的補償を得ることによつてたやすく満足される性質のものであるから、本件仮処分命令は右特別事情の存在に基いて被申請人をして保証を供させることを条件としてその取消を許さるべきであると抗争するからこの点について判断をするのに、なる程証人安達安左衛門の証言及右証言によつて真正に成立したと認める乙第七号証及被申請人本人訊問の結果に徴すると、被申請人は始め前記建築工事を代金十五万円で請負わせていたのであるが、本件仮処分命令による工事の中止以後における建築資材の値上り等のために金七万五、六千円程度の負担増加を余儀なくされているなど多少の損失を生じることの疏明があるけれども、他面において本件土地部分は申請人がその本権の関係は別として少くとも事実上においてその賃借家屋に附属する庭園の状態において之を占有していたところ、被申請人において暴力の威迫によつて右占有を侵奪妨害したことが前に疏明せられているとおりである以上は、之によつて脅かされたものは申請人の住居の平安であつて単に七、八坪の土地の経済的な利用收益の関係に過ぎぬものではないとせねばならぬところ、およそ住居の平安は人の精神生活の源泉であつて単なる金銭的補償を得ることによつて満足され得べきものでないことは言をまたぬところであつて、民法上これらの利益侵害に関する不法行為についても金銭的賠償の原則が採られていることはその已むを得ざる最後の救済方法であるに過ぎぬのであつて、之を以て以上の論決を左右することはできぬ。そうすると被申請人において本件仮処分によつて前記のような損害をこうむる虞れがあるとしても、右は実体的な権利関係について始めから争のある土地について被申請人がその適当な解決をまたずに工事に着手した無思慮によるものであつて、その救済は損害賠償に関する別訴の提起など他に方途を求めるべきであつて、右の一事を以て民事訴訟法第七百五十九条にいわゆる保証を立てしめて仮処分の取消を許すべき特別の事情があるとすることはできぬから、被申請人の右主張は之を採用することができぬ。
以上の理由に基き本件仮処分命令の認可を求める申請人の申立は之を認可すべきものとし、なお訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおりに判決をする。
(裁判官 河野春吉)